自らの価値など証明せずとも、ただそのままで良いと感じられる場所、川-2022/11/07

何も証明する必要なんてない

社会的評価、社会的地位、お金。
自分の価値を社会の中で証明しなければ置いてけぼりにされてしまうという心配。
その社会的なもの全てを追いかけていたつもりが、逆にそれら実体のない影に追われていることだってある。
僕は川で生きていく生活と出会って以来、社会から一歩外に出たこの川という世界に魅了されて(或いは逃げ込んで)初めて自分の居場所を得た気持ちになれた。
僕は人付き合いは得意では無いし、社会的地位や社会的評価を築くということに対しては正直なところどこか斜に構えており、実際にはあまり興味が無いようだ。
とは言え、この社会の中ではお仕事をしてお金を頂かないと生きていくことは難しいわけなので気にせずにはいられないのも事実ですが。。。

川という世界のなかでは人間社会の仕組みなど何も存在しない。
リバーボーディングしているとき、僕は川との繋がりを強く感じる。
思い返せば僕がリバーボードをするようになったのも、川の力を直に感じてもっと感覚や意識の奥深くで触れたいと思ったからかもしれない。
それは同時に自分の存在をもっと強く確認したいということなのかもしれない。
それだけ自分に、自分自身の存在に自信がないということでもあるのかもしれない。

誰に対しても何に対しても何も証明する必要の無い川という世界の中で、絶対的な川の力を感じ、自分の存在を確かめることが僕にとっては掛け替えのない時間だ。
それはまるで焚火をじっと眺めているような、或いはキレイな星空を眺めているような、ただそれだけで心の内側が水に溶けていくような。

逃れられない社会の仕組みと上手く折り合いつく人なんているのだろうか?
僕はハッキリ言って世渡り下手だし上手くできない人です。
でも、そんな社会と川とを行ったり来たりすることが自分に生きる活力を与えてくれていて、それに深く感謝している。

何かを社会に証明しなければということの外にある世界、川。
人間なんて自然の中では本当にたわいもない生き物なんだと教えてくれる、川。
足し算も引き算もかけ算も何も存在しない、川。

だから僕には川が必要なんだと思う。

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