昔のガイド仲間Philが遊びに来てくれた!
僕がカナダでラフティングガイドをしていたときに一緒に働いていたPhilがパートナーを連れて遊びに来てくれました。まさかこんな日が来るとは。めっちゃ嬉しい!
Philとカナダで働いていたのは確か2005年頃なので約18年ぶりに一緒に川で遊んだわけですが、とても感慨深くてノスタルジーで特別な時間でした。
英語が全然しゃべれない僕にいつも根気よく英語を教えてくれていたのはPhil。
いつも優しいナイスガイでとても仲が良かったんですよね。
そんなPhilが当時の写真を持っていて(奇跡的に!)写真を送ってくれたのでちょっぴりノスタルジーに浸りながら当時を振り返ってみたいと思います。
良ければ是非お付き合い下さい。
カナダでのガイド時代の回想録
Reo Rafting Resortというアウトドアカンパニーにお世話になっていました。
以前にもブログで書いたことはあるけれど、色んな国からガイドが集まってきていてカナダ人よりも外国人のガイドが多かったと記憶しています。
川に入っていないときは、みんないつも楽器を弾いてワイワイやっていました。
因みに一番左にいるのがメキシコ人のジオ。二本指が無いけれどジャグリングがとても上手で良く一緒にお客様のためにパフォーマンスをしていた仲間。
彼が座っているところに積まれている空き瓶は、泊まっていくお客様が残していった空き瓶。
シーズンの終わりに全部リサイクルセンターへ持っていくとお金に換金してくれて大体10万円前後になった。そのお金でシーズン終了後にみんなでお疲れ様のスタッフ旅行へ行くのが恒例行事。もちろんその空き瓶を貯めることに関してはガイド達もたくさん飲んで、かなり貢献していました。
そして、後ろに見えているようなスクールバスが何台もあり、それが僕達ガイドの寝る場所でした。
普段お客様がいないときは電気の無い生活。
夜はスクールバスの中でろうそくに火を灯していました。
因みに、間違って食料を外に出しておくと、翌日にはブラックベアに荒らされていたりする。
スクールバスの中で寝ている分には比較的安心でした。
体を張ったギャグは国境を超える
当時はあんまり言葉は通じなかったので、なんとかみんなを笑わせようとしてコマネチばっかりやっていました。後ろでジオが笑ってる。
みんなコマネチなんて、そもそも知らないはずだけど身体を張ったギャグは国境を越えると知りました。
Stein riverの遠征ツアーはスタートまでがとにかく過酷
これは年に数回のStein riverの遠征ツアーのためにラフトボートを運んでいる様子。
コマーシャルツアーを行う川としては北米でも屈指の斜度で高難易度のstein river。
そのスタートポイントへアクセスするためには長い長い道のりをボートを丸太に括って丸めてひたすら運ぶ。
これがキツいのなんのって。
スタートポイントまでは1日で行くことは難しいので、途中この森の中で野宿。
今考えるとホントによくやるな~って感じ。
でも何だかその工程すべてが楽しかった。
とても良い思い出です。
Stein riverは最後フレイザー川に合流。
これはフレイザー川に合流してから一息ついたところでの記念撮影。
Stein riverは緩やかな区間がほぼゼロでスタートからゴールまでほぼノンストップで急流が続くコース。
息つく間もない展開の早い川なんですよね。
もう緊張しっぱなし。
かなり良い川です。
火の玉のようなに超元気で働き者のMaca
オージーガイドのMaca。
元気とギャグのセンス、そしてラフティングの腕はもうピカイチ。
今では少数派で希少種となってしまっている根っからの職人気質なガイドで一つ一つの仕事にめちゃくちゃこだわるし、ちゃんとやらないと誰にでもしっかりと面と向かって物申すことができる人。
Macaには本当に色々教えてもらったし、とても仲良くしてもらった。
特にほぼ毎晩このガイドエリアで焚火しているときのMacaの話す数々のストーリーは本当に面白かった。
ここではガイドは焚火を囲んでお客様とお話ししているときに、自分が川で経験した色んなエピソードを語って聞かせるストーリーテリングの腕もガイドとして求められる大事なスキルの一つでもあった。
この数年後にはオーストラリアでMacaのホームリバーのTully riverでお仕事を紹介してもらい一緒に働かせてもらいました。
みんな良き仲間で良きライバル
この当時は僕も23歳くらい。
ただただ良いガイドになりたいという思いだけで日本を飛び出し、カナダの激流で揉まれていた。
みんな良き仲間で良きライバル。
お互いに切磋琢磨しながら日々を過ごしていた。
みんなやっぱり負けず嫌いなんですよね。
だからこそ競争があり、負けないように腕を磨く。
リバーガイドとして優先的にお仕事をもらうには、そこで認めてもらうしかない。
語学力では勝てないけれど、川の上では負けないという自負はあった。
このころの日々があったから大きく成長できたと思っています。
麦わら帽子をくれたカナダの先住民
この麦わら帽子にはストーリーがある。
ある日、休みの日にみんなで久しぶりの街へ出かけた時に、スターバックスでコーヒーを買うために並んでいたら、めっちゃ体格がよくて酒に酔ったカナダの先住民のおじちゃんが急に近寄ってきて、「この帽子をお前にやるよ」と言ってきた。
その時、僕は押し売りされていると勘違いして、No thank youと言って断った。
そしたら、おじちゃんはしつこくついてきて、いいからお前にやるから受け取れという。
お金は払えないよって言ったら、「お前、日本から来たんだろ」「ようこそ俺たちの土地へ」といって僕の頭にこの麦わら帽子を被せて去っていった。
言葉も文化も違う中で、自分に自信を持つことができなかったけれど、その時僕は初めてこの土地に受け入れてもらえたんだと感じることができた。
それ以降、ラフティングガイドとして旅するときにはいつもこの帽子をかぶって行動するようになった。するとみんな、僕のことを麦わらの日本人と認識してくれるようになり、次第に自分のトレードマークのようになっていきました。
Yohei Clapton !?
因みにこの当時、僕はみんなからYohei Claptonと呼ばれたりしていた。
僕はずっとエリック・クラプトンの大ファンでよくカバーしてみんなの前で歌っていた。
ギターとジャンベドラム。
いつも誰かしらギターを弾いていて、誰かしらジャンベを叩いている。
ここは深い山の中でナハタラッチ渓谷のなかにポツンとあるラフティング会社。
ほとんど人の手が入っていない自然、或いはむやみに人の手を加えないようにしている自然。
仕事では必死に食らいつき、全力で遊び、全力で笑い、そんな中でも将来への不安や、この先の人生に対して漠然とした不安が常にあり、モヤモヤをどこかに抱えながらも日々を懸命に必死に生きていた。
大学には行っていないので、大した学歴もなければ、この仕事自体をいつまで続けることができるのかも分からなかった。だけど、だから何だと思う自分もいた。
そんなこと考えるよりも動き続けようと自分自身をプッシュしていた。
多くを望めばきりがなくて、動かなきゃ始まらなくて、
金や地位や名誉に対して、そんなものに囚われない生き方をしたいと考えていた。
それは今も同じだ。
これからも心を新たにして、コツコツと活動していきます
こうしうて僕は川に人生を与えられてきた。
今は、その川とあなたとを繋げたい。
思い返してみれば、その想いっていうのはこの当時から変わっていないのかもしれない。
川には不思議な力がある。
川から上がったころには、川に入る前よりも世界が少しだけ明るく見える。
この社会を懸命に必死に生きるあなたのために、僕たちはここでリバーボードを通して、川を通して、あなたが日々を少しでも明るく過ごせるように、そう願いながら活動しています。
懐かしい写真の数々でノスタルジックになったけれど、同時にこの社会の中で自分自身の役割や使命っていうのを、この当時からずっと模索し続けてきたのかもしれないと思いました。
そして、これからもリバーボードクラブでその役割や使命に対して真摯に取り組んでいきたいと心を新たに活動していきたいと思います。