リバーガイドライフ回想録2020/04/24

前回のブログで少し話したがリバーガイドのお仕事を本当に何気ないきっかけからスタートしたわけですが、続けていくうえで本当に多くの葛藤を常に抱えながらも今でもずっと続けている。

リバーガイドという特殊な仕事をフルタイムの職業として続けていられる人はとても少ないし年々減っているのではと思う。

このお仕事の魅力って何?っていうことは、一言では言えないし人によっても違うと思うのでまたランダムに記憶の引き出しを開けてみたいと思います。

北海道のニセコで2年間ガイドのお仕事をして後、カナダでガイドの仕事をするために下調べ。
その当時は、インターネットを使うにも一苦労で、仕事で出入りしていたホテルに置かれていたお客様用の共用パソコンをスタッフの目を気にしながら空いているときにこそこそ使っていた。

どの会社も、あまりホームページに力を入れている感じはまったくなくて、送ったメールも返事は無し。
僕の英語も怪しいものだったからまあ仕方ない。

国際電話カードで直接電話して唯一話をできたのがREOラフティングという会社の社長ブライアン。
正直会話はほとんど成立しなかったが勢いで何となく会う約束ができた?ようだった。
とにかくまずはカナダへ来いとのこと。
話はそれからだという感じだった。

川の装備と服を詰めたバックパック一つ背負ってバンクーバーへ。
これでも少しくらいは自分の英語は通じるんじゃないかという根拠のない自信は、空港の売店でアップルジュースを買う際、レジのお姉さんが何言ってるかわからず後ろに長蛇の列ができていた時にさっそく粉々に打ち砕かれた。

その後、再度ブライアンに連絡して働きたいと直談判。
電話の向こうで、お前本当に来ちゃったのかよ、、、と言ったのは聞き取れた。
そして一応面接してくれることに。
最初は「お前にガイドができるのかよ」という感じ。
雇えるかはわからないとしっかり念を押されて、まずはそこの会社が独自に行っているガイドスクールに参加してくれと言われた。
その後、その受講生の中から選抜してガイドとして雇うか決めるとのこと。
受講料はその当時で確か約2500カナダドルくらい。
そんな金はない。
正直終わったと思った。

そこから現状を伝え、どうしてもチャレンジしたいと言うと、その会社でお掃除やお手伝いをしながら働いた分を受講料から引いてくれるということになった。

会社のベースは、ブリティッシュコロンビアでバンクーバーから車で東へ約2時間半。ボストンバーという小さな町からさらに山奥。
ナハタラッチ渓谷にある美しい場所にあった。
そこでは、タラとタナの二人がベースマネージャーとして管理していた。
タラは小柄な女性でタナは大柄なタフガイという感じ。
まず案内されたのはガイドたちが寝泊まりするちょっとした広場。
ラフティングツアーのお客様を運ぶために使われてきた歴代の壊れたスクールバスが3~4台とテントを張るデッキと真ん中に焚火場。
ここからカナダでの生活が始まる。

日がたつにつれて続々とガイド希望者が集まって確か10名位いた。
カナダ数名、あとはオーストラリア、ドイツ、メキシコ、スウェーデン、南アフリカだったと思う。
ほとんどガイド経験がない人達だった。
でもその中に、カヤッカーとしてすでに多くの実績を積んだ人もいる。
僕は北海道でガイドを2年経験していたので川の上でのアドバンテージはあったと思う。
ただ、事細かな川の用語や理論などを英語で理解するのに時間と労力がかかった。日本では学べなかったことや知らないことも多くあり、このガイドスクールは自分の大きな基礎を築いてくれたと今でも思っている。
そして、川もボートも人も僕が経験した日本の川よりも大きくて、ガイディングの際に自分の力で何とかできるレベルを超えていたので川の流れを読み、お客様の漕ぎを最大限利用し、先の展開を予測して行動するといった様々な能力が磨かれた。

英語を学ぶことに関して、まずは日本から持ってきていた辞書をバッグの奥へしまい込むことから始めた。
辞書を眺めていても日常生活のコミュニケーション力は上がらないことに気づいたからだ。
知らないことは「聞く」ことがその場、その空間で最も必要な言葉を知る最善の方法だった。
例えば、鍋の蓋って何ていうの?とか等々。。
そして、みんなと生活する上では必要な単語はそう多くないことに気づいた。

ガイドスクールのトレーニングでは基本操作や川の基本知識に関してはすでに知っていることも多かったが、一番心配だったのが筆記テスト。
毎晩みんなで焚火を囲んで自分の経験談やその日のトレーニングで起こった色んな出来事に関してワイワイおしゃべり。
そういう時間で僕の筆記テストへ向けた勉強も仲間が助けてくれた。

メキシコから来ていたジオという青年。
彼は当時18歳くらい?でロッククライマー。
彼の右手の中指と薬指が無かったのが印象的だった。
ロッククライミング中にロープを結んでいる最中に他の人が足を滑らせて転落してきた際、指をロープに絡んで転落した人の重みで指を切断してしまったらしい。

そんな彼の特技はお手玉。
ジャグリングとも呼ばれている。
とても上手だったけど時折、指の無い個所からボールを落とす。
すごくシャイで声も小さく上手く会話ができないこともあったけどすごく仲良しだった。
僕がギターを弾いて彼がジャグリングする。その横でドイツ人カヤッカーのマッツがハーモニカを吹くことがお客様と焚火をしている時のささやかなエンターテイメントだった。

ある日、結構な急流ポイントで流れを泳いで横切るフェリースイミングのトレーニングがあった。ナハタラッチ川の特徴としてプール(瀬と瀬の間のトロ場)がほぼ無いこと。
言ってしまえばスタートからゴールまで大なり小なりずっと瀬が続いている感じ。良い川である。
そこで、みんな雪解けの水の冷たさをと急流にもめげずに課題をクリアしていく。
唯一ジオが一向に泳ごうとしない。
彼はどうやら水が怖いうえに泳ぎが苦手らしい。
結構な急流なので泳げる人でも心の底ではかなり躊躇していたはずだ。
みんなで声を掛け合い励ますがジオは一歩を踏み出せずにいた。
30分が過ぎ1時間が過ぎ、結局ジオはスイムトレーニングはパスすることに。
その後数日、ジオは無口だったのを覚えている。
それまでジオは水が怖くて泳げないということを誰も知らなかった。

水が怖いけどガイドになりたいと言うジオを突き動かす物はなんだったのだろう。
僕とジオは大体同じくらいの英語レベルだった。
ともに筆記テストへの不安を抱える状況。
ドイツ人カヤッカーのマッツは頭もよく英語もよくできるので彼が僕らの先生だった。
このトリオはいつも一緒に行動する仲良しだった。

話はだいぶ端折るけど、ガイドスクールはみんな無事に卒業。
その中から、仕事を得られたのは僕を含めて数人だった。
中には最初からこのプログラムだけ受けて本業に戻る予定の人もいた。
仕事をもらうにあたってガイドのスキルがあることは前提で、性格や人柄、普段の行いなど、そういった部分を含めて判断したと後で伝えられた。
何はともあれ、カナダでの仕事が決まって心底ホッとした。

今回はここまで。

出会った色んな人のことも含めて書いていますが、「川」を通して繋がる人と人。そこで生まれるたくさんのストーリー。
ラフティングでもリバーボードでも、その中で出会う人や時間や物語に本当の価値があると僕は思う。

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