スタッフ紹介: Yohei

菅原 洋平
ニックネーム:Yohei

北海道江別市出身
リバーボードクラブ代表
日本リバーボーディング協会 代表理事

菅原洋平の「リバーガイドとしての生き方」ブログ記事では、リバーガイドとしての人生の明るい部分だけでは無くて、苦悩や葛藤も綴っています。良ければ是非ご覧下さい。

Road to France|世界最高峰へ挑む闘い

2026年6月7日に開催される、世界最高峰のフランス・チャンピオンシップへリバーボードクラブのYohei、Akiko、そしていつもサポートしてくれているMomoちゃんの三人が参戦します。
Road to FranceのBlog記事でこの挑戦と向き合う様子をご紹介しています。
是非ご覧下さい。

Yoheiの前向きラジオ

今Yoheiの心の中にあることを一人語りでゆるくお届けする「Yoheiの前向きラジオ」。
是非ご視聴・ご登録よろしくお願いいたします!
リクエストやご感想も是非お待ちしてます!

経歴

・リバーガイド歴25年
・英語対応OK!
・取得ライセンス
レスキュー3ジャパン
レスキュー3インターナショナル
NZRA
RAJ(ラフティング協会)ガイドライセンス
Swift Water Rescue Work Shop
日本脚本家連盟-第124期脚本家教室脚本家クラス 全課程修了
日本脚本家連盟-第124期脚本家教室放送作家クラス 全課程修了
日本脚本家連盟-第20回放送作家クラス企画コンペ「コント部門」佳作

ストーリー

北海道でリバーガイドとしてのキャリアをスタート

2001年の春から北海道のニセコでラフティングガイドとしてのキャリアをスタート。
翌年の2002年、初年度があまりにも稼げなくて生活できなかったので、広島や東京の工場へ出稼ぎに行く。
しかし、慣れない都市生活と孤独から、リバーガイドとしての生き方が恋しくなり、夏の終わり頃にニセコへ戻りリバーガイドに復帰する。

カナダの激流に揉まれる

2003年には、リバーガイドとしての武者修行、そして自分を試してみたいという思いから、カナダのブリティッシュコロンビアへ。
一応自分の英語は通じるはずという根拠のない自信を胸にバンクーバー空港に降り立つが、到着してすぐ売店でジュースを買う時に、レジのお姉さんの英語が理解できずに、気づけば後ろに列ができていて、持っていた根拠の無い自信は粉々に打ち砕かれる。

更に、お世話になるつもりでいたアウトドアカンパニーの社長に、カナダへ到着したことを電話で告げると、本当に来ちゃったんだと呆れられる。
その後、無事にお仕事をもらってカナダの激流に揉まれる。

南米チリの激流に揉まれる

そんなこんなで、カナダでのシーズン終了後に更なるチャレンジを求めて南米チリへ。

そこでは、スペイン語が殆ど話せない状態で行った自分の甘さを痛感。
英語で話しかけても、誰も話してくれない。
しかし、片言でもスペイン語で話そうとすると、みんな話してくれる。
色んな人にスペイン語を教えてもらいながら、リバーガイドとして働けるカンパニーを探すが、ここで働くには一筋縄ではいかないと、思い知らされる。

すぐにはリバーガイドとして働けずに生活苦に陥る。
というのも、カナダからチリへ渡ったときには、300カナダドルしか持っていなくて、仕事も住む場所も決まらず途方に暮れていた。

最後に残った40ドル前後で安ギターを買って、スーパーの前で弾き語りをして当面をしのぐ。
レパートリーは「ベサメムーチョ」と「ティアーズ・イン・ヘブン」の2曲のみ。
一日中この2曲を弾き続けていた。

時々、投げ銭やサンドイッチなどをくれるチリ人の温かさに心を打たれながらも、自分のあまりの不甲斐なさに絶望する。

そして、ラロブラボーという人物が声をかけてくれて、物置小屋の二階に居候させてくれていた。僕のチリでの恩人である。
その後、無事にリバーガイドのお仕事ができるようになり、超負けず嫌いのチリ人ガイド達としのぎを削りながらチリの激流に揉まれる。

チリのシーズン終了後、カナダ、日本、オーストラリアの川へ


チリの川シーズンが終わると、カナダへ戻り、以前と同じ会社にお世話になりグリーンシーズンを過ごす。
その後、日本へ帰国して、2年ほどニセコでリバーガイドとして働く。

2007年頃?カナダでお世話になっていたオーストラリア人ガイドの紹介でオーストラリアのケアンズでリバーガイドとして働く。

帰国後、北海道の日高町にあるHOAにお世話になる。
ここでしばらく、日高山脈に囲まれた美しい自然の中でスローライフを送る。

その後、群馬の利根川を経て東京都の多摩川へ流れ着く。

リバーボード世界大会、そしてこのスポーツへと情熱を傾けていく

2015年、リバーボード(ハイドロスピード)の世界大会がグアテマラで開催される事を知り、僕にとって初めてのリバーボード製作に取り組み参加。
当時の僕は、リバーガイドとしての生き方に絶望していて、もう辞めてしまおうかと考えていた時期。
そんな中で、気分を変えるという意味もあり、参加することに。

しかし、そこではこのスポーツに情熱を注ぐ選手達が集まっており、当時の中途半端な気持ちの自分にとって、この大会での経験が、このスポーツと真剣に向き合うきっかけを与えてくれた。

大会の練習中に、コースにある大きな波に突っ込んで、ハンドルとボードが離ればなれになる。
そんな中、フランスの選手に必死に食らいつくが、あっさり引き離されて実力の差を痛感。

2016年、リバーボードクラブを設立し独立する。
日本でもリバーボードをスポーツとして広めるべく、御岳カップにリバーボード部門を作ってもらい運営に参加させてもらい、現在に至るまで、リバーボード/ハイドロスピードの普及に全力を注いでいる。

2018年ニュージーランド世界大会に参戦


2018年、リバーボード世界大会 in ニュージーランドに参戦。
更に研究を重ねてきた自作のリバーボードで、フランス人選手に必死に食らいつく。
スラロームでは6位だったが、タイムには大きな開きがありまだまだ差があると痛感。

大会終了後にリバーボード世界大会の運営スタッフのメンバーになる。
その後、大会でフランスチームの使っていたリバーボードにヒントを得て、ようやくリバーボード製作の手応えを掴み始める。

より良いリバーボード(ハイドロスピード)を製作することに力を注ぐと共に、このスポーツをキッズにも楽しんで欲しくて、ローカルキッズと放課後に川へ行くようになる。

川に与えられた人生。そして、人が喜んでくれることが何より嬉しい。

僕は川に人生を与えられて、川に心を救われてきました。
川には本当に不思議な力がある。
川から上がった頃には、川に入る前よりも世界が少しだけ明るく見えるんです。

そして何よりも、僕は川が大好きだ。
そして、お客様が楽しんで喜んでくれていることが、何より嬉しいし、僕にとっての活力になるんです。
安全に配慮しながら、あなたを楽しくご案内致します。
是非あなたのお越しを心よりお待ちしてます。