スタッフ紹介: Yohei

菅原 洋平
ニックネーム:Yohei

北海道江別市出身
リバーボードクラブ代表
日本リバーボーディング協会 代表理事
世界リバーボーディング協会 運営スタッフ

菅原洋平の「リバーガイドとしての生き方」ブログ記事

経歴

・リバーガイド歴23年
・英語対応OK!
・取得ライセンス
レスキュー3ジャパン
レスキュー3インターナショナル
NZRA
RAJ(ラフティング協会)ガイドライセンス

ストーリー

2001年の春から北海道のニセコでラフティングガイドとして活動を始める。
翌年の2002年、初年度があまりにも稼げなくて生活できなかったので、広島や東京の工場へ出稼ぎに行く。
それでも、リバーガイドとしての生き方が恋しくなり夏の終わり頃にニセコへ戻りリバーガイド復帰。

2003年には、リバーガイドとしての経験値を高めるためにカナダのブリティッシュコロンビアへ。
一応自分の英語は通じるはずという根拠のない自信をバンクーバー空港到着5分で粉々に打ち砕かれる。
更に、お世話になるつもりでいたアウトドアカンパニーの社長に本当に来ちゃったんだと呆れられる。
そして無事にお仕事をもらってカナダの激流に揉まれる。


そんなこんなで、カナダでのシーズン終了後に更なるチャレンジを求めて南米チリへ。
そこでは、スペイン語が話せない状態で行った自分の甘さを痛感。
すぐには働けずに生活苦に陥る。
スーパーの前で、安ギターで弾き語りをして当面をしのぐ。レパートリーは「ベサメムーチョ」と「ティアーズ・イン・ヘブン」の2曲のみだったので、一日中この2曲を弾き続けていた。投げ銭やサンドイッチなどをくれるチリ人の温かさに心を打たれながらも、自分のあまりの不甲斐なさに絶望する。
しばらくの間、ラロブラボーという恩人の物置小屋の二階に居候。
無事お仕事ができるようになり、超負けず嫌いのチリ人ガイド達としのぎを削りながらチリの激流に揉まれる。

その後、カナダへ戻り同じ会社にお世話になる。


日本へ帰国後、2年ほどニセコでリバーガイド。

2007年頃?カナダでお世話になっていたオーストラリア人ガイドの紹介でケアンズでリバーガイド。
帰国後、北海道の日高町にあるHOAにお世話になる。
ここでしばらく、日高山脈に囲まれた美しい自然の中でスローライフ。

その後、群馬の利根川を経て東京都の多摩川へ流れ着く。
2015年、リバーボード(ハイドロスピード)の世界大会がグアテマラで開催される事を知り、僕にとって初めてのリバーボード製作に取り組み参加。大きな波に突っ込んでハンドルとボードが離ればなれになりながらもフランスの選手に必死に食らいつく。しかしあっさり引き離されて実力の差を痛感。

2016年、リバーボードクラブを設立し独立する。
日本でもリバーボードをスポーツとして広めるべく、御岳カップにリバーボード部門を作ってもらい運営に参加させてもらう。

2018年、リバーボード世界大会 in ニュージーランドに参戦。


更に研究を重ねてきた自作のリバーボードでフランス人選手に必死に食らいつく。
スラロームでは6位だったが、タイムには大きな開きがありまだまだ差があると痛感。

大会終了後にリバーボード世界大会の運営スタッフのメンバーになる。
その後、大会でフランスチームの使っていたリバーボードにヒントを得て、ようやくリバーボード製作の手応えを掴み始める。

より良いリバーボード(ハイドロスピード)を製作することに力を注ぐと共に、このスポーツをキッズにも楽しんで欲しくて、ローカルキッズと放課後に川へ行くようになる。

僕は川に人生を与えられて、川に心を救われてきました。
日々、上手くいかないことだらけのこの社会の中で懸命に必死に生きるあなたに、一時の間だけでもストレス発散して笑顔になって楽しんで欲しい。
そして、一時の間だけでもあなたにとって浮き輪のような役割をはたしたい。
川には本当に不思議な力がある。
川から上がった頃には、川に入る前よりも世界が少しだけ明るく見えるんです。
「今日よりも前向きな明日をあなたに生きて欲しい」
僕はこの思いを心に置いて活動しています。
安全に配慮しながらあなたを楽しくご案内致します。